2009年01月31日

映画「ひめゆり」を佐倉で上映する会・新着情報

新着情報(チケット販売・予約状況など)

30日(金)31日(土)の両日ともチケットは、完売しました。
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映画「ひめゆり」+朗読「SAKURA/OKINAWA」

主催/映画「ひめゆり」を佐倉で上映する会 後援/佐倉東高校同窓会
戦争-記憶-証言
長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」+朗読「SAKURA/OKINAWA」

©プロダクション・エイシア

映画&朗読、やります。
映画は長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」(柴田昌平監督作品)。ひめゆり学徒の生存者の方々の証言を綴った作品です。
朗読は、佐倉東高の生徒たちが佐倉高女時代の先輩たちの、戦時中の体験記等を朗読します。
皆様お誘い合わせのうえ、是非ご来場ください。

2009年1月30日(金)17:45〜20:45
       31日(土)13:45〜16:45
ミレニアムセンター佐倉 ホール(京成佐倉駅北口徒歩1分)


前売券 大人1200円/中高生以下無料
当日券 大人1500円/中高生以下無料

※電話またはメールでご予約いただいた方は、当日窓口で前売券を購入できます。
※中高生以下の方も事前予約をお願いします。
※当日券は、残席がある場合のみの販売となります。
(定員90名 全席自由)

予約・問合先
映画「ひめゆり」を佐倉で上映する会(伊三野/山口)
TEL 043-484-1024/FAX 043-486-0995(佐倉東高校内)
EMAIL himeyuri.sakura@gmail.com

スケジュール
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2009年01月27日

映画+朗読が朝日新聞に紹介されました

朝日新聞20090127s.jpg
posted by 佐倉東高校演劇部 at 10:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

すべては、助走だった。この映画に出会うための。

1月24日(土)、映画「ひめゆり」の試写会。朗読メンバーのみんなと観る「ひめゆり」。

わたし(伊三野)以外は、みんな「ひめゆり」を観るのは、これがはじめて。
わたしは昨年の10月半ば、沖縄文化研究所(法政大学)主催の「沖縄ドキュメンタリー映画祭2008」で観たので、これが2度目。

ひめゆり学徒隊の生存者の方々のことば(証言)の一言一言がわたしのこころに沁み入ってくる。スクリーン上で証言者の方がぐっとことばを詰まらせる。そのときその方の胸にこみあげてくるものを想う。《そこまでして語ってくださっているのだ》。観るわたしの胸も詰まる。息苦しい。

ふとスクリーンから目を転じ、朗読メンバーのみんなを見る。スクリーンを食い入るように視つめる者。語られることばのあまりの重みに耐えかねて、深くうなだれる者。その反応はさまざまでも、こころに強い衝撃をうけていることはまちがいなかった。

わたし自身、目の奥がじんと熱くなってくるのを感じている。

上映終了。周囲が明るくなっても、だれ一人ことばを発しようとしない。

最初に口をひらいたのは、わたしだった。
これまでずっと、来る日も来る日も朗読の練習をやって来たけれど、それもこれも全部、今日、みんながこの映画にちゃんと向き合えるための助走だったんじゃないかって、今はなんか、そんなふうに思える。わたしは、みんなにそんな意味のことを喋った。

昨年10月末、沖縄へ修学旅行に行って、実際に、ひめゆり平和祈念資料館を見学し、またひめゆり学徒隊の生存者の方のお話もうががいながら、さしたる感慨も持たず戻ってきた者もいる。その同じ者がこの映画を観て、完全にうちのめされている。

何人かは涙ぐんでさえいる。

すべては、助走だったのだ。この映画にきちんと出会うための。

ところでまた朗読メンバーは、練習の過程でしだいに、《わたしがいかに上手く伝えるか》という点にばかり思いを凝らすようになってはいなかったか。《わたしが》《わたしが》と、それはあまりに「傲慢」なありようではなかったか。

わたしたちが「ひめゆり」から学ぶべきは、何といったらいいか、いわば究極の「謙虚」さのようなものじゃなかろうかと、わたしには思われる。

たとえば、映画のなかで証言者のおひとりは「生き残ったのではなくて、生き残された」といい、亡き学友に代わって「私が、こうして伝えるようになった」と語る。

他のだれかのために、他者のために、このわたしが「語らせていただくこと」「伝えさせていただくこと」、それこそ「語ること」「伝えること」の本質なのかもしれない。

先日校内試演会で観た柴田監督のメッセージビデオのなかで、この映画は監督であるわたしの映画ではなく、ひめゆりのおばあちゃんたちの映画なのです、といったような意味のことを語っていた監督のことばが想い起こされる。

「ひめゆり」を観る前と観た後とでは、生徒たちの朗読は一変した。それはだけはまちがいない。
posted by 佐倉東高校演劇部 at 01:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月17日

1・15校内試演会

1月15日(木)16時10分より会議室にて、朗読「SAKURA/OKINAWA」校内試演会。30・31日の本番をまえに、いちど校内で試演会を催し、先生方にご覧いただいた上ご批評ご助言を仰ぎたいと企画したものです。お忙しいなか12名もの先生方がご参加くださいました。またプロダクション・エイシアより、映画「ひめゆり」の上映・配給を担当されている富士海さんも遠路はるばるお越しくださいました。そしてメンバー一同、ご参加いただいた皆様方よりあたたかいエールを受け、大いに励まされたのでした。本当にありがとうございました!

校内試演会では、まず映画「ひめゆり」の予告編2種類を上映後、富士さんよりご挨拶いただきました。そして朗読「SAKURA/OKINAWA」をご覧いただき、さいごに映画「ひめゆり」の柴田昌平監督のメッセージビデオを上映しました。監督のメッセージビデオは本来、映画を観終わったお客様にむけて撮られたもので、映画を未見の先生方・朗読参加メンバーには、あるいはピンと来ないところも多少あったかもしれませんが、それでも監督の、柔和ながらも同時に力強い信念が感じられる語り口に、皆思わず引き込まれました。ご参加いただいた先生のおひとりは、感想に「柴田監督の話はわかりやすく、沖縄のおかれた、過去と現在が少しわかりました」と記されています。また、わたし(伊三野)個人としてはメッセージビデオ中、監督の「大きな足音を立ててやって来るんじゃなくて、気がついてみたら戦場に行ってしまったっていうのが、ひめゆりの人たちの実感であり、たぶん多くの日本人にとっての当時の戦争ってそういうふうにやって来たと思う」ということばに深く頷かされました。というのも、わたしが生徒たちとともに朗読「SAKURA/OKINAWA」をつくり上げていくプロセスのなかで感じてきたものをピタリと言いあてられた気がしたからです。わたしも朗読台本のことばに触れながら、ずっとそんなふうに感じてきたのでした。「大きな足音を立ててやって来るんじゃない」「気がついてみたらやって来ている」それが戦争だ、と。
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以下に、ご参加いただいた方々のご感想を紹介させていただきます。
続きを読む
posted by 佐倉東高校演劇部 at 15:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月15日

2009年01月14日

NHK千葉放送局のFMラジオ番組に出演!

映画+朗読イベントについて、NHK千葉放送局のFMラジオ番組『ひるどき情報ちば』でご紹介いただけることになり、今日、本校でその収録が行なわれました。

来校されたのはキャスターの熊崎友香さん。ふわっと柔らかな、ほんとうに感じのよい素敵な方でした。

メンバー一同、終始やや緊張気味でしたが、熊崎さんの優しいフォローで、なんとか無事収録を終えることができました。

放送日時は1月21日(水)午前11時10分〜(10分程度)。FMラジオ(80.7MHz)『ひるどき情報ちば』という番組の「情報プリズム」というコーナーで放送されるとのことです。

放送のなかでは、朗読の一部も披露しています。みなさん、ぜひお聴きください!



熊崎友香さん
posted by 佐倉東高校演劇部 at 21:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月13日

朗読参加メンバーで校内募金 《ユニセフ人道危機緊急募金》

毎日毎日、新聞等でガザ地区の惨状が報じられている。
多くの子どもたちも犠牲になっているという。

映画+朗読イベントのメンバーで募金活動を行なおうということになった。
今日、朝の登校時間に昇降口前で校内募金を実施。
夕方の下校時間にも、同様に昇降口前に立つ予定だ。

集まったお金は、ユニセフの人道危機緊急募金に送る。
この人道危機緊急募金は、ガザ紛争や南オセチア紛争、コンゴ内戦などの武力紛争により被災した子どもたちの支援に役立てられる。

できることから一つひとつやっていくしかない。

なお、30日31日の映画+朗読イベントの会場でも募金活動を行なう予定です。

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posted by 佐倉東高校演劇部 at 13:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月11日

小休止

昨日ももちろん朗読の練習を予定していたのだけれど、朝から次つぎに遅刻や欠席メールがケータイに舞い込む。理由は体調不良。やれやれ。みんな連日の練習に疲れきってるってことか。しかたない。
というわけで、昨日は作業日とした。本番がずいぶんと近づいてきて、どうせパンフやらアンケートやら、それに大道具なんかをつくらなきゃならなかったから、ま、こういう日があってもいい。

ところでパンフには、年表を載せようということになった。世のなかのうごき、そして、ひめゆり学園および佐倉高女のうごきを対照させた年表、みたいなもの。

そこで『ひめゆり平和祈念資料館ガイドブック』や『千葉県立佐倉東高等学校創立百周年記念誌』、『20世紀全記録』と首っ引きでベンキョー中のみんな↓

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他に大道具づくりでペンキ塗りをしてジャージを黒ペンキだらけにした人もいたりw いつものことだけど。
posted by 佐倉東高校演劇部 at 18:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月08日

2009年01月03日

朗読「SAKURA/OKINAWA」試演会(その2)

昨年12月22日の朗読「SAKURA/OKINAWA」試演会。

戦争体験のない私たちが、戦争を体験された方々のことばを、まさにその「当事者」である畑さんや内海さんの前で語るという体験。

貴重な体験だったと、皆口をそろえて言う。

試演会の後には、畑さん・内海さんと、朗読に参加している佐倉東高校の現役生・卒業生との懇談会も行なった。

試演会・懇談会を終えて、ある生徒は知らないことを知るよろこびについて語ったが、たしかに私たちは知らないことが多すぎる。あるいは、わかっている気になっていることが多すぎる。そのことを痛感させられた一日だった。

『丹鈴』のなかの、たとえばこんな一節。

冬の朝は星を仰いで駅迄三十分、…

これは、学徒動員で働くことになった工場へ通うようすを語ったものだが、「冬の朝は星を仰いで」とは、もちろん朝早く家を出なければならないので殊に(日の出時刻が遅くなる)「冬の朝は」まだ暗いうちの出勤だったことをあらわしているにちがいない。けれども同時に、私たちは「星を仰いで」という部分に漠然と、少女らしいロマンチシズムを読みとってもいた。あるいは、それもあながち間違いとは言いきれないかもしれないが、懇談会の場でうかがった、こんなことばにハッとさせられたのだった。「当時は街灯もなにもなかったからそれこそ真っ暗で星明かりをたよりに歩くしかなかったのよ」。急に、真っ暗な道を、星明かりだけをたよりに、ひとりぼっちで駅に向かう少女の心細さが私の胸にあふれた。想像が及んでなかった。まったく想像が及んでなかった。街灯もない。コンビニもない。その真正の闇に私の想像が及んでいなかったのだ。

あるいはまた、こんな一節。

「乗せて下さい。」「乗せて下さい。」と大声で叫んだ…

これは、工場への「行き帰りの駅では、あまりの混雑で、時にはデッキから乗れずに窓からの乗り降り」だったと述べるくだり。ぎゅうぎゅうのすし詰め状態の列車に乗れ切れず、「乗せて下さい。」「乗せて下さい。」と大声で叫ぶ少女…。「もっと切迫感をもって!」と私は《演出》した。だが、ちがった。私はまちがっていた。そんなふうに《演出》した私の脳裡には、大声で叫ぶ少女をしり目に、無関心を決めこむ人々のすがたがあった…。だが、そうではなかったのだ。懇談会の場で、畑さんと内海さんのおふたりは異口同音にこんな意味のことをおっしゃった。「当時はお互い助け合わなければやっていかれなかった。だからいつも、みんな助け合っていた。列車に乗れないでいる私たち学生を後ろから押し上げてくれたりね」。なのに私は勝手に、他人に無関心で、冷ややかな現代風の乗客を思いえがいていた。そんな現代風の乗客に対しては、声の調子は切迫して、悲愴感ただようものになる筈だ。だが「後ろから押し上げてくれたり」するような乗客に対してなら、声の調子はぎゃくに、相手を信頼して、あたたかみを帯びたものになるだろう。つまり、私は現代を過去に投影するという過ちを犯していたわけだ。

私たちは知らないことが多すぎる。
あるいは、わかっている気になっていることが多すぎる。
そのことを痛感させられた一日だった。

畑さん・内海さん[中央]を囲んで(山口先生[左手]にも参加いただきました)
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posted by 佐倉東高校演劇部 at 11:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

戦争体験を語り継ぐということ

戦争体験のない私たちが戦争体験者の方々のことばを、いかにして語り継いでいくのか。

劇作家の別役実氏がどこかで戯曲のことばの「異物感」について語っていたが、他者のことばはそう易々と自分のことばに転じてくれやしない。他者のことばはあくまでも自分の「外部」にある。

だから早々にわかった気になるのは禁物だ。

ゆっくりと、ゆっくりとなじませていくしかないのだ、自分のからだに。

目の前にあるのは、戦争体験のない私たちが戦争体験者の方々のことばを、いかにして語り継いでいくのかという課題。そして是が非でも取り組まないわけにはいかない、それは課題なのだ。しかも喫緊の。

語り手の語りを可能なかぎり忠実に再現する(という「オーラルヒストリー」の正統な手法に基づき作られた)のが映画「ひめゆり」だとすれば、その取り組みの真摯さに触発されつつ、私たちが現在取り組んでいる朗読「SAKURA/OKINAWA」の「リーディング」という手法にも、ひょっとしたらそれ固有の利点があるかもしれない。今そんなふうに感じはじめている。

なるほど「忠実な再現」という意味では、「当事者」の証言にまさるものはない。けれども、必ずしも「忠実な再現」とはいえない「リーディング」という手法は、“いかにして他者のことばと向き合うか”という点を焦点化するものであり、そしてそこにこそ、この手法固有の利点があるように思うのだ。

朗読「SAKURA/OKINAWA」の「OKINAWA」部分、すなわち伊波園子氏の『ひめゆりの沖縄戦』の、たとえばこんな一節。

「師範学校の生徒は、将来人の師となる者である。敵の捕虜になるなど考えられない。いざというときには、舌をかみ切ってでも自決することができるはずだ」

これは「沖縄戦前夜」の、戦局が深まりゆくさなか「朝会の訓辞も決まって戦争につながること」だったと述べるくだりに記された校長先生のことばだが、この箇所の読みをくり返しくり返し練習していた男子生徒がぽつりとつぶやいた。

《この校長先生、ホントにこれ、心から信じて言ってたのかな?》

さきの校長先生のことばを何度も何度も口にして、くり返しくり返し練習するうちに、そんなふうに他者のことばと向き合うなかで、男子生徒は、ふとこの疑問に突きあたったのだ。

《心から信じて言ってたのかな?》

戦争体験のない私たちが戦争体験を語り継いでいくということ。そのとき求められるのはたとえば、ことばの身体化をくぐらせた、こうした吟味じゃなかろうか。男子生徒のつぶやきを聞いて、そんなことを思わされた。
posted by 佐倉東高校演劇部 at 09:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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