2009年11月24日

舞台美術賞いただきました@中央発表会

スタッフもキャストもほとんどが1年生ということもあり(これはイイワケ)、中央発表会の大舞台でやっぱりみんな萎縮しちゃって、けっして満足のいく出来とはいえませんでした。プレ公演がなかなかイイ出来だっただけに(音響の子が泣き出すぐらい…スタッフなのに!?…何回も観てるのに!?)悔やまれます。あーあ。中央発表会はコワイ。ただ、舞台美術賞をいただけたことが、せめてもの救いです。みんな不器用ながら、大工ガンバったもんね。
posted by 佐倉東高校演劇部 at 11:05| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月21日

明日、中央発表会本番

父と暮せばポスター県大.jpg
posted by 佐倉東高校演劇部 at 23:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月14日

朗読と演劇「サクラ オキナワ ヒロシマ」開催のお知らせ

SOHポスター.jpg
朗読と演劇「サクラ オキナワ ヒロシマ」

〜このサクラから馳せる

 オキナワ・ヒロシマへの想像力〜



日時:2009年11月14日(土)

   14:00〜15:45


場所:千葉県立佐倉東高等学校 会議室


入場無料



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2009年11月11日

中央発表会:本校の上演日時

2009年11月20日〜22日の3日間、青葉の森公園芸術文化ホールにて第62回千葉県高等学校演劇研究中央発表会(千葉県大会)が行われます。日程の詳細は、ここにあります。本校は、22日(日)10:25〜11:25の上演です。お時間がございましたら、ご観覧の上ご批評たまわればさいわいです。
posted by 佐倉東高校演劇部 at 07:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月04日

演劇「父と暮せば」上演に寄せて

tokei01.jpg愛するものを失ってなお永らえること。生きのこることもまた苛酷なのだ。
高校時代、古典の時間に「後(おく)る」という古語をはじめて習ったときの奇妙な感慨がよみがえる。習ったのは、「(誰それ)に後る」という用法である。親しい人に先立たれること、死別することを「後る」という。わたしの身近で誰かが亡くなるとき、わたしはその人に「後れた」のだ。周囲で1人また1人と亡くなっていき、そして、わたしはまたぞろ「後れる」、どんどん「後れる」。生きつづけることは、すなわち「後れつづける」ことにほかならない。

この劇の舞台は原爆投下から3年後の広島。美津江は、原爆で親友にも肉親にも「後れ」てしまい、ひとり永らえる。ある日、美津江は勤め先の図書館にやって来た木下という青年に恋をする。けれども、ひとり生きのこった後ろめたさから、その恋も断念しようとする美津江。「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」。そんな美津江を、父・竹造は懸命に励まし応援するのだが−−。言わずと知れた、井上ひさし氏の名作。

『父と暮せば』のラストシーンは、長編ドキュメンタリー映画『ひめゆり』のなかの、あるひめゆり学徒の生存者の方のことばを想起させる。その生存者の方は「ここから生き残ったのではなく、生き残された」といい、「(亡くなった人たちは)何としても生きたかったんですよ。それを今、私に伝えてくれ、と言ってるように思えるんです」と語られていた。『父と暮せば』にもまた映画『ひめゆり』同様「生き(のこ)ること」の意味への深い洞察がある。

映画『ひめゆり』がドキュメンタリーであるのに対し、『父と暮せば』は、なるほどフィクションといえばフィクションである。だが、作者の井上ひさし氏は、こう書かれている。「(被爆者の方々の)手に入った手記を数百編、拝むようにして読み、そこからいくつもの切ない言葉を拝借して、あのときの爆心地の様子を想像しました。そして、それらの切ない言葉を再構成したのが、この戯曲です」と。ここに紛れもない真実がある、そう観客をして感じさせる所以である。
posted by 佐倉東高校演劇部 at 20:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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