| SAKURA 1907(明治40)年に佐倉女子技芸学校として創立した、現・佐倉東高等学校。戦時中は、佐倉高等女学校の時代にあたる。その佐倉高女に1941(昭和16)年入学、1945(昭和20)年卒業の同窓生の会に「丹鈴会」がある。「丹鈴」とは「赤い鈴」の謂、また卒業年の「二〇(にれい)」に因む。この会が卒業50周年にあたって編纂した『卒業五十周年記念誌 丹鈴』。そこには、太平洋戦争「開戦の年に入学し、終戦の年に卒業」した同窓生の稀有の体験が綴られている。リーディング前半は、この記念誌の文章を再構成し、佐倉東高の現役生・卒業生がこれを朗読する試みである。 OKINAWA 次いで、伊波園子著『ひめゆりの沖縄戦 SAKURA/OKINAWA 『丹鈴』のなかで、のちに千葉から沖縄へ移り住んだ方はこう書きしるす。「『終戦』と言っても地上戦闘が行われた場所とそうでない場所では深刻と切実さの度合が違う」と。また、別の方は「広島、長崎の方々やひめゆり女子学徒のような本当の苦しみ悲しみは分かりません」と書く。なるほど、沖縄では住民を巻き込んだ地上戦が展開され、目を覆うばかりの悲劇を生んだ。ただ、伊波氏の描く、少なくとも「沖縄戦前夜」までの女師(沖縄師範学校女子部)の情況は、『丹鈴』に見る、当時の佐倉高女のそれに酷似している。沖縄と佐倉という、遠く隔たった二つの地点ながら、彼方と此方の情況がオーバーラップし、そしてその同時代性を浮かびあがらせる。日常のなかにじわじわと浸潤してくる戦争。が勿論その後、1945年3月23日を境に、彼方と此方の命運は大きく分かたれることになる。 もっとも「戦争を知らない」世代である私たちにとっては、『丹鈴』の頁を繰ること自体、既にして驚きに満ちた経験である。これがよく見知った佐倉の、ほんの60数年前の光景なのかと。ましてや沖縄における「戦争の現実」を見聞きするにつけても、おのが《想像力》が、そのあまりに凄惨な《現実》にとても追いつかないという、暗澹たる思いにとらわれる。だからこそ、共有する努力をしたい。戦時下の佐倉から同時代の沖縄へ。そして、あの想像を絶する“鉄の暴風”下の沖縄へ。この佐倉の地から、あらん限りの想像力をふりしぼって、あの沖縄の悲劇に向き合いたい。 映画「ひめゆり」を佐倉で上映する会 |
2008年11月23日
朗読「SAKURA/OKINAWA」について
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