エリート情報[佐倉版]
長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」
朗読「SAKURA/OKINAWA」に取り組む
県立佐倉東高校の生徒と教諭が、映画「ひめゆり」の自主上映会とともに、朗読「SAKURA/OKINAWA」に取り組んでいる。

「修学旅行先が沖縄なので、生徒たちにぜひ『ひめゆり』を見せたい」と、山口隆司教諭(社会科)が、同校で生徒会や演劇部顧問を務める伊三野友章教諭(国語科)に持ちかけたことが上映のきっかけとなった。
それなら、「生徒が自分たちの身近なこととしてとらえる貴重な機会にできないか。平和が大切と唱えているだけでは何も変わらない、自ら考える契機になったら」と話しは、「SAKURA/OKINAWA」の朗読へと発展。伊三野教諭は、自身が赴任したばかりの5年前に出合い、いつか芝居にしたいと心に決めていた、同校が体験してきた戦争の様子がリアルに描かれている、終戦の1945年に卒業した女学生たちの文集『丹鈴(にれい)』のことがすぐに浮かんだという。
同校の演劇部員は現在、豊岡美枝さん(1年)ただ一人。そこで、「私たちの先輩やひめゆり学徒の方々の戦争体験記を一緒に朗読しませんか!」と、全校生徒に呼びかけた。生徒会役員に有志も加わり、台本作りと朗読の練習が始まった。
戦争を知らない生徒が、知らない人に語り継ぐ
生徒会長の鶴田貴之さん(2年)は、「戦争といえばすぐに戦闘地域を思い浮かべるけれど、もう一方で、銃後の日常を懸命に生きていた人たちもいたことを発見」とつぶやく。ひめゆり学園・校長先生役を演じる生徒会副会長の条谷一人さん(2年)は、「校長先生は本気で生徒に『自決しろ』と言ったのだろうか」と戸惑い、この「言葉をどうやって自分の中に取り込んでいくのか」悩み、ひたすら読み込んだ。
練習を重ねて「大バケした」とその成長ぶりを周囲から称賛される前副会長の富彌真奈美さん(2年)は、「人前に立つのが恥ずかしかったけれど、今は、恥ずかしい以上に伝えたいという思いが強くなってきています」。生徒会会計の松本静香さん(1年)は、「試演会で感動したという言葉を聞き、やってよかったと思いました」。生徒会書記の川中衿佳さん(1年)は、「自分も台本づくりから関わって思い入れも深く、とてもやりがいを感じています」。朗読者募集の呼びかけに応えて参加した1年生は、「将来は司書の仕事に就きたく、朗読を経験してみたかった」と話していた。
在学中は生徒会でも演劇部でも活躍し、昨春、同校を卒業した古澤遥さん(お茶の水女子大学)は、「話があったときにはテーマが重過ぎてしんどそうと思った」。朗読を通し「自分の言葉として相手に伝えたい、語ることを意識して練習するようになった。体験者(証言者)たちが亡くなっている中で、戦争を体験していないわたしたちが、戦争を体験していない人に語り継いでいくことを大きなこととして受け止めている」。
日常の中にじわじわと 浸食してくる戦争。
佐倉と沖縄の女学生の言葉にひたすら耳を傾ける
朗読は、若者から年輩者まで多くの支持を得ている茨木のり子さんの詩「わたしが一番きれいだった時」から始まる。
「SAKURA」は、太平洋戦争の開戦の年に入学し、終戦の1945年(昭和20年)に卒業した同
校(当時県立佐倉高等女学校)OGたちの体験を、戦後50年の節目の年に『丹鈴』と題した一冊に収めた文章を再構成した。
「OKINAWA」には、『ひめゆりの沖縄戦-少女は嵐のなかを生きた』(伊波園子著)より、米軍が沖縄本島へ艦砲射撃・空爆を開始する1945年3月23日以前のひめゆり学徒の日常を描いた「沖縄戦前夜」の章を選んだ。
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『丹鈴』のタイトルは、20年の終戦の年に卒業したということに由来する。多感な女学生時代は戦争一色、得難い歴史の証言集である。「セーラー服はモンペに。校舎の一部は軍隊の宿舎となり軍服を修理。看護実習に陸軍病院にも通った。外国の音楽、好きだった英語の時間も廃止された。4年生からは学徒動員令により軍需工場へ。作業服に戦闘帽、『神風』の鉢巻きをしてハンマーを握りヤスリをかけ旋盤をまわし…手は豆だらけ傷だらけ。卒業式後には同級生たちとまた工場へ戻った」
佐倉以西に在住の生徒は船橋の軍需工場へ、成田に住んでいた『丹鈴』発行・代表の畑礼子さんらは実籾の工場へと動員された。「今だからこそ理不尽と言える。当時は、勉強したいというよりも時代にしがみついていた。けれど希望者に時事英語を用いて英語を教えてくれた先生がいたのも事実、忘れられない。思い出すたび教育の重要さを痛感している」
その畑さんと、学友だった内海ふくさんに朗読の試演会を見てもらった。二人の目をつぶってうなずく姿を前に、「受けとめていただいている」という安心感から、演じた生徒たちの緊張は一気にほぐれた。さらに、懇談し「解釈の違いに気付かされたことで、意識が一変した」とも語る。
「『星を仰いで駅迄三十分』とは、別にロマンチックな話ではなく、当時は真っ暗な中で星だけが頼りだった。工場へ行くための満員電車でも、他人にヨソヨソしい現代とは異なり、『乗せて下さい』と声をかければ後ろから押し上げてくれるなど皆お互い助け合っていたし、またそうでなければやっていけなかった」
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『丹鈴』と、1945年3月23日以前の「ひめゆり学徒」の女学生の情況は酷似している。しかし、『丹鈴』の中でのちに千葉から沖縄へ移り住んだ方は、「『終戦』と言っても地上戦闘が行われた場所とそうでない場所では深刻さ、切実さの度合いが違う」と記している。
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朗読をする生徒たちは戦争を知らない世代だが、当時の彼女たちと同年代。だからこそ、「理不尽で凄惨なすべての現実に想像力が及ばないこともあるかもしれないが、それでも共有する努力を続けたい。あらん限りの想像力をふりしぼってOGたちの体験、そして、沖縄の悲劇に向き合いたい」という。
全国各地に広がる自主上映会-長く沈黙を保ってきた「ひめゆり学徒」に、
歌手のCoccoさんは「『忘れたいこと』を話してくれてありがとう」
第2次大戦末期、沖縄では住民を巻き込んだ地上戦が展開された。「ひめゆり学徒隊」として戦場動員され、献身的な看護活動の末、当時15歳から19歳の女学生たちの多くが亡くなった。生きのびた生徒たちは戦後、長く沈黙を保っていた。22人の言葉を丹念に紡いだ長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」(2007年)は、13年間掛けて撮影された。ほとんどの方が80歳を超え映画の完成を待たず3人の方が他界。
柴田昌平監督は、美化されたイメージがつきまとう「ひめゆり学徒」生存者の一人ひとりの証言にひたすら耳を傾け記録する中で、「わかったつもりになっていたことはあまりに表面的なことで愕然とした。戦争体験から受ける印象は悲惨。しかし、ひめゆりの生存者からはしっかりと生きている強さを感じる。それは、彼女たちの根っからの明るさ優しさ、そして生命への信頼感があるから」と公式ホームページで述べている。
当日は、朗読(35分)・休憩・映画「ひめゆり」(2時間10分)の順。
■30日…17時45分〜20時45分 31日…13時45分〜16時45分
■ミレニアムセンター佐倉(京成佐倉駅北口徒歩1分)
■前売券/大人1200円・当日300円増し(中高生以下無料)
■両日共完全予約制(定員90人・全席自由)
■電話・メールでの予約は当日窓口支払い。 (当日券は残席ある場合のみ販売)
▼予約・問い合わせ先
映画「ひめゆり」を佐倉で上映する会(伊三野教諭・山口教諭)
TEL 043・484・1024/FAX 043・486・0995(佐倉東高校内)
Eメール himeyuri.sakura@gmail.com
URL http://homepage.mac.com/isano/himeyuri/



