2009年01月27日

すべては、助走だった。この映画に出会うための。

1月24日(土)、映画「ひめゆり」の試写会。朗読メンバーのみんなと観る「ひめゆり」。

わたし(伊三野)以外は、みんな「ひめゆり」を観るのは、これがはじめて。
わたしは昨年の10月半ば、沖縄文化研究所(法政大学)主催の「沖縄ドキュメンタリー映画祭2008」で観たので、これが2度目。

ひめゆり学徒隊の生存者の方々のことば(証言)の一言一言がわたしのこころに沁み入ってくる。スクリーン上で証言者の方がぐっとことばを詰まらせる。そのときその方の胸にこみあげてくるものを想う。《そこまでして語ってくださっているのだ》。観るわたしの胸も詰まる。息苦しい。

ふとスクリーンから目を転じ、朗読メンバーのみんなを見る。スクリーンを食い入るように視つめる者。語られることばのあまりの重みに耐えかねて、深くうなだれる者。その反応はさまざまでも、こころに強い衝撃をうけていることはまちがいなかった。

わたし自身、目の奥がじんと熱くなってくるのを感じている。

上映終了。周囲が明るくなっても、だれ一人ことばを発しようとしない。

最初に口をひらいたのは、わたしだった。
これまでずっと、来る日も来る日も朗読の練習をやって来たけれど、それもこれも全部、今日、みんながこの映画にちゃんと向き合えるための助走だったんじゃないかって、今はなんか、そんなふうに思える。わたしは、みんなにそんな意味のことを喋った。

昨年10月末、沖縄へ修学旅行に行って、実際に、ひめゆり平和祈念資料館を見学し、またひめゆり学徒隊の生存者の方のお話もうががいながら、さしたる感慨も持たず戻ってきた者もいる。その同じ者がこの映画を観て、完全にうちのめされている。

何人かは涙ぐんでさえいる。

すべては、助走だったのだ。この映画にきちんと出会うための。

ところでまた朗読メンバーは、練習の過程でしだいに、《わたしがいかに上手く伝えるか》という点にばかり思いを凝らすようになってはいなかったか。《わたしが》《わたしが》と、それはあまりに「傲慢」なありようではなかったか。

わたしたちが「ひめゆり」から学ぶべきは、何といったらいいか、いわば究極の「謙虚」さのようなものじゃなかろうかと、わたしには思われる。

たとえば、映画のなかで証言者のおひとりは「生き残ったのではなくて、生き残された」といい、亡き学友に代わって「私が、こうして伝えるようになった」と語る。

他のだれかのために、他者のために、このわたしが「語らせていただくこと」「伝えさせていただくこと」、それこそ「語ること」「伝えること」の本質なのかもしれない。

先日校内試演会で観た柴田監督のメッセージビデオのなかで、この映画は監督であるわたしの映画ではなく、ひめゆりのおばあちゃんたちの映画なのです、といったような意味のことを語っていた監督のことばが想い起こされる。

「ひめゆり」を観る前と観た後とでは、生徒たちの朗読は一変した。それはだけはまちがいない。
posted by 佐倉東高校演劇部 at 01:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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